ヘッダーイメージ 本文へジャンプ


歯磨きのお話などなど・・・

 
 なぜ、人間は歯磨きをするのでしょうか。もちろん、ほとんどの方が虫歯や歯周病の予防のためですと当然のように言われると思います。歯科医院に行ってもしつこいぐらいに歯を磨きなさいといわれると思います。それは、やはり歯磨きが虫歯や歯周病などの歯科疾患の予防に大きな効果があるからなのです。


 

 ところで、動物の中では、一部の類人猿を除いて歯磨きをするものはいません。タヌキやキツネやニホンザルなどに歯磨き行動が見られたなどという記録はありません。人間と動物は違うと言われるかも知れませんが、そんなことはありません。哺乳類であれば歯や歯を支える歯周組織の基本的構造は同じなのです。野生動物は歯磨きをしないがために、虫歯や歯周病で苦しんでいるのでしょうか。いいえ、実際には野生動物は皆、健全できれいな歯と歯周組織を持っているのです。



 どうしてなのでしょうか。この疑問に答える前に、人類がいつから歯磨きをしているのか、いつから虫歯や歯周病に苦しんできたのかちょっと調べてみました。

 
化石人骨の調査では、後期旧石器時代のクロマニヨン人に、歯の清掃のためについたと思われる人工的な磨耗が認められています。また、旧石器時代以前には虫歯はほとんど見られなかったのが、新石器時代にはやや増加し、その後、文明の発達とともに爆発的に増えていったようです。また、いわゆる先住民族と呼ばれる人々のなかで、伝統的な食生活をしていた北海道のアイヌや北極圏のイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、アメリカインディアンなどは虫歯が少なかったと言われています。ところが、いずれの民族も文明化され、生活環境が変化すると同時に虫歯や歯周病が急激に増加しています。特にアメリカインディアンのピマ族では文明化されたとたんに、歯周病だけではなく糖尿病の発症率が極めて高くなったという事例があったそうです。日本でも縄文時代までは、虫歯や歯周病は少なかったようです。しかし、これが弥生時代になると急に増加し、しかも重症化しているのです。

 
これには、食生活の変化が関係しているようです。旧石器時代以前は狩猟中心の生活をしていました。また、アイヌは鹿や鮭などが、イヌイットはアザラシの生肉など、アボリジニはブッシュフードといわれるカンガルーの肉や木の実などが伝統的な食事でした。アメリカインディアンは狩猟中心の生活からトウモロコシ農耕の開始とともに、日本では、狩猟生活をしていた縄文時代から、稲作が全国に広まった弥生時代に爆発的に歯牙疾患が増加しているのです。世界的に、狩猟生活の時代から農耕牧畜生活への転換期は人口の爆発的増加が起こった時期でもありますが、人口爆発と歯牙疾患増加との関連については、今後の研究課題となっているようです。

 
一般的に狩猟民族に比べて農耕民族は虫歯の発生率は10倍以上であるといわれています。
 健全な歯と歯周組織を持つ野生ニホンザルも、人工飼料を与えているとたちまち虫歯や歯周病にかかってしまうそうです。ペットの間でも、愛犬や愛猫などに歯牙疾患が多いことは、ペットを飼われている方ならご存知のことと思います。

 虫歯や歯周病の原因は何でしょうか。ご存知の方も多いと思いますが、歯垢(デンタルプラーク)といわれるものです。では、歯垢とは何でしょうか。漢字で歯の垢と書きますが、食べかすではありません。実は細菌の塊なのです。口腔内にはなんと600種類以上の細菌が存在しています。これらの細菌は常在菌といって健康な人の口腔内に常に存在しているものです。また、その数も厖大なものであり、唾液1ml中に1億個、歯垢1g中1000億個もの細菌が存在しているのです。このうち、虫歯や歯周病の原因になるものは、S.ミュータンス、A.アクチノマイセテムコミタンス、P.ジンジバリスなどを含む十数種類の細菌が現在わかっています。これらの細菌は菌体外多糖体といわれるネバネバの物質を分泌し、お互いに絡み合って歯の表面に付着しています。これが歯垢なのです。この状態になると単独で浮遊していたときとは性質が変わります。専門用語でバイオフィルムと呼ばれる状態です。バイオフィルムの状態になると消毒薬や抗菌薬は、内部まで浸透できないため、効かなくなります。また、バイオフィルム中心部の細菌は、いわば冬眠しているような状態で代謝も低く抑えられているため、代謝を妨害する作用を持つ抗菌薬は効果を発揮できません。また、ずっと”冬眠”状態ではなく、時折大量に細菌を放出し急に病状が進行することがあるのです。

 
余談ですが、歯の治療で今までさほど痛くなかった歯が治療を始めたとたんに急に痛くなったり、腫れたりしたりした経験をお持ちの方もおられると思います。これは治療によりバイオフィルムを破壊し”冬眠”していた細菌を起こしてしまったことによって起こるものがものがあります。こうなると、患者さんは、治療したのになんでと不信感を持つし、歯科医は大いに慌てることになります。

 
さて、本題に戻ります。バイオフィルムを除去するのに効果的な薬剤がないとすると、機械的に除去しなくてはなりません。ですから、歯磨きが必要なのです。歯ブラシで除去できないものは、歯科医院で専用の器具を使ってとる必要があります。また、歯垢は、きれいに除去しても約24時間で再び歯の表面に作られてきますし、食事をしなくても作られてきます。むしろ、口から食事を摂らない方が口腔内の自浄作用が働かないため、より多くの歯垢が形成されます。寝たきりで経口摂取ができない方に適切な口腔ケアが必要なのはこのためです(口腔内の細菌による誤嚥性肺炎は高齢者の死亡原因として重要視されています)。

 
これで、歯磨きの重要性がお分かり頂けましたでしょうか

 人類が文明の発達に伴って狩猟中心の生活から農耕を中心にした生活に変わり、それとともに食生活も変化し、それが虫歯や歯周病の増加に関連しているらしいことは、容易に推察できると思います。特に、軟らかく加熱調理された炭水化物を多く摂取するようになったことと関係が深いようなのです。人類は文明の発達により快適な食生活を手に入れましたが、その代償として歯牙疾患に苦しめられるようになったのです。

 
さらに、快適な食生活を手に入れた代わりに失ったものがまだありま す。石器時代にまで遡らなくても、弥生時代の卑弥呼の食事を再現したものを、現代人に試食してもらったところ、51分間3990回咀嚼して食べきれなかったそうです。現代食はわずかに11分間620回咀嚼しただけで食べきれたという実験結果がありま す。ちなみに卑弥呼の食事はもち米を蒸したおこわを中心としたもの、現代食はハンバーグやパンを中心としたものです。わずか二千年足らずの間に噛む回数は6分の1以下に減っているのです。

 
咀嚼回数の減少が何をもたらしたかというと、咀嚼器官の退化です。縄文人と現代人のあごの骨を比べると明らかに現代人は華奢になっています。あごの骨が薄く細くなっているのです。骨だけではありません。あごの骨には咀嚼筋といってあごを動かす筋肉が付着しているのですが、その筋肉の付着する面積も明らかに小さくなっているのです。但し、歯の大きさはほとんど変わっていません。さらに、マウスによる実験では、固形飼料で飼育する群と咀嚼の必要のない液状飼料で飼育する群に分けて飼育すると、液状飼料群の方があごの骨や咀嚼筋、あごの関節、さらに唾液腺の発達も明らかに悪かったという結果が出ています。

 
これは、現代人にも当てはまりそうです。いわゆるえらの張った顔が少なくなってきたのは、あごの骨と咀嚼筋の発達が悪くなったため、歯列不正が増えたのは、歯の大きさが変わらないのに、あごが小さくなり歯の並ぶスペースがなくなったためです。さらに最近の顎関節症の増加とも関係ありそうです。また、発達の悪い唾液腺は加齢による変化も加わって高齢者のドライマウスとも関連がありそうです。さらに、第三大臼歯(親知らず)が正常に生えずに横向きに生えたり、あるいはあごの骨の中に埋まったままで生えてこなかったりというのは、良くあることですが、これも、小さくなったあごに歯(親知らず)が生えるスペースがなくなったために引き起こされているものです。

 
われわれを苦しめている虫歯や歯周病など歯科疾患のほとんどは、文明の発達に適応しきれなかった咀嚼器官の不調和が生み出したものなのです。われわれの咀嚼器官が食生活の急激な変化に適応しきれなかったことが歯磨きが必要になった最大の理由なのです。

 
また、よく噛むことも大事です。ただ、卑弥呼の食事でさえ食べきれなかった現代人には、いまさら石器時代以前の食生活に戻ることは不可能です。たとえ、当時の食材を用意できたとしても、あごの華奢な現代人は無理して食べると歯やあごの関節を傷めてしまうのが落ちです。食事は、なるべく調理済み食品や加工食品を避けて季節の旬の食材をバランスよくとることが大事です。そして、それらの食材で作った料理をよく噛んで味わいながら食べるのです。

 
よく噛むことの効用については、歯やあごだけにとどまりません。日本咀嚼学会は「ひみこのはがいーぜ」という標語を紹介しています。どういうことかというと、

「ひ」肥満予防 : ゆっくりよく噛んで食べれば、少ない量で満腹感が得れます。食べすぎがなくなります。

「み」味覚の発達 : しっかり噛まないと唾液の分泌が不足し食物の味が感じられなくなります。

「こ」言葉の発音がはっきり : よく噛むことによって口の周りの筋肉が発達して発音が良くなります。.

「の」脳の発達 : 噛むことが脳に刺激を与え知能の発達を促進します。

「は」虫歯、歯周病の予防 : 噛むことにより分泌される唾液は、口の中の汚れを洗い流し食後酸性になった口の中を中和し、さらに、歯の再石灰化作用があります。

「が」がん予防 : 唾液中のペルオキシダーゼという酵素が、がんや生活習慣病などの原因である活性酸素を消去します。

「い」胃腸快調 : 唾液中の消化酵素アミラーゼが消化を助けます。

「ぜ」全力投球 : しっかりとよく噛む習慣を身につけると、健康になり全身に力がみなぎるようになります。


 どうですか、あなたもよく噛むことを心がけてみませんか。
 
フッターイメージ